かつて京都に、あの世とこの世をつなぐ道があったことをご存知ですか?
地獄絵などを通じてこの世のものでないものに着い興味を示すようになった私は、もちろん知っています!
その道は、京都のある寺に井戸として今も残っています。その寺の名は、六道珍皇寺です。
平安時代初期の公卿 小野篁 (おのの たかむら)は閻魔王宮の役人とも呼ばれた、昼はこの世の朝廷に出仕、夜はあの世の閻魔庁に勤めたという伝説持ち主です。下が、小野篁本人と、彼が仕えた閻魔大王の像です。
そして、こちらがここを通って彼が夜な夜なこの世とあの世を行き来したという冥土通いの井戸です。
ちなみに、冥界への入口と出口は別々のようです。入口にあたる冥土通いの井戸は昔からこの寺にあったのですが、出口にあたる黄泉帰りの井戸は2011年になってこの寺のすぐ隣の敷地で発見されたそうです。
この六道珍皇寺、現在は小さな寺ながら、寺内がとても美しいのです。
訪れたこの日は、ちょうど秋の特別公開・寺宝展の開催期間でした (2021年は11月3、6、7日、および11月20~23日)。特別展示として、3幅の地獄絵、それから上村松園の「多から船」なる作品が展示されていました。
宝物として展示されていたのは江戸時代の由緒正しき(?)(笑)地獄絵図でしたが、離れには現代の作家(絵師:だるま商店、安西智、島直也)によるたいへんポップな屏風の展示もありました。その名も、「篁卿六道遊行絵図屏風」。
境内には、上記した小野篁や閻魔大王像のほか、重要文化財に指定された薬師如来像 (この日は、公開中でした)を安置する堂があります。そして、冥土まで響く鐘ととして知られる「迎え鐘」も。精霊を迎えるために撞く鐘なので、その名がついたそうです。
人は死後、因果応報により六道と呼ばれる六種の冥界を輪廻転生するそうです。
六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道です。この六道の分岐点で、この世とあの世の境の辻がこの六道珍皇寺のあたりだといわれ、冥界への入口と信じられてきたそうです。
平安の昔、京都では風葬が盛んで三大風葬地といえば鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)、蓮台野(れんだいの)でした。鳥辺野はちょうどこの六道珍皇寺のあるあたりで、この寺の前の辻を六道の辻と呼び、この辻を境に南を「あの世」北を「この世」と呼んだそうです。 こうした史実が、夜な夜なこの世とあの世を行き来する公卿 小野篁のような伝説を生んだのかもしれませんね。
最後に、日本屈指の旅紀行である「徒然草」から一節を。一瞬、高校生の青い頃に戻ってみてください(笑)。
「あだし野の露消ゆる時なく、鳥辺山の煙立去らでのみ住み果つる習ひならば
いかのもののあはれなからん」
(あだし野の露が消えることなく、また鳥辺山の煙が立ち去ることなく留まるように、人間が(永遠にこの世の終わりまで)住み続けるという習わしであるならば、どんなにものの情緒というものがないのでしょうか (人は死ぬ生き物だからこそ、情緒を味わうことができる))
小さな寺ですが、史実、伝説、境内や寺内の美しさ、どれをとっても大満足でした!
私おススメの地獄絵本を、以下に紹介します。
絵、特に地獄絵のように細部をも愉しむ絵画を観る時は、単眼鏡(ギャラリースコープ)を忘れずに。
ええ、今回は忘れずに持っていきましたよ。大活躍!(写真のピンとはズレズレですが(笑))
今回は、ここまで。
次の機会にお会いしましょう!
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